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つぶやき記事

伴走について考える

5月の終わりに、ぬくもりの会の最新号のニュースレターが手元に届きました。

表紙には、第21回通常総会の模様が記載されており、裏面にはなんと3月に登壇させていただいた「カウンセリングについて」の掲載がありました!掲載内容は、配布させて頂いた発表スライドの内容以外にも、私が言葉としてお伝えした想いをきちんと拾ってくださり、編集者さんの要約力に感動でした。今後、カウンセリングを検討されている方の後押しになっていただけたら幸いです。ありがとうございました。

先日、初めてお会いする心理士の先生に当ルーム「ココロのBansousya」の屋号を褒めていただくという場面がありました。会ったら真っ先に伝えたかったと言って頂きまして、私自身もとても気に入っているので嬉しく思いました。

伴走者とは、サポートをしながら一緒に走る人と意味しますが、伴走の「伴」は伴う(ともなう)とも読み、文字通りに解釈すれば、ついていくということ。まさに走者という主役(クライエント)がいて、伴走者(心理士)が脇役ということになります。

私が考えるカウンセリングとは、対話における感情交流から相互作用が生まれ、ひとりでは難しかったことをふたりの問題として向き合い、クライエントさんが自分を通して自分のことを知ることができるようにサポートし、そこを一緒に伴走したいと考えています。

先日、研修会で「待つこと」についてテーマが上がりました。どの心理士の先生方も待つことの難しさは良くご存じで、私も含め失敗や反省を多く体験されておられます。そこで、クライエントの「困り事を奪わないこと」、「解決してあげないこと」そんな言葉が心に残りました。確かにカウンセリングの営みとは、クライエントに寄り添うことで問題を先取りしてはいけません。しかし、どうしても心理職は、良くしてあげたい、応えたいという情緒的思いが膨らみますから、そこへの葛藤をどうコントロールするか理性的判断を備えておかなくてはなりません。心理士が主導権を握り良くしてあげるのではなく、その方の最善を常に模索することが支援に繋がるのだと思いますし、そのような営みが共に伴走することだと思うのです。

昨日、スーパービジョンを受け、指導者から有意義な時間を貰いましたが、最近は「カウンセリングについて」を考える機会が多く与えられているように感じます。初心忘るべからず、ですね。

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