久しぶりに本棚から成田義弘氏の書籍「精神療法家のひとりごと」を手にしました。
中井久夫氏、熊倉伸宏氏、神田橋條治氏、そして成田氏の本は臨床の奥深さ、味わい深さが魅力で時折り姿勢を正したい時に手にします。
久々に「精神療法家のひとりごと」を開くと、ところどころに黄色いマーカーが引いてあったり、ページの上端が折られていたりと、当時の自分が残した足跡がありました。
そんな当時の足跡を確認しながら再読していると、最後の章に漱石の小説「坊ちゃんを傾聴することはどういうことか」が説かれています。
筆者が言うように「坊ちゃん」は、坊ちゃん自身の生活史を私たち読者に向かって語った小説です。痛快すぎるほどに、頭に浮かんだことは何でも正直に語っているように聴こえます。
そこで筆者が「これだけ読むたびに印象が変わった本はない」と言い、中学生のとき、精神科医になったとき、50代になったときの坊ちゃんの生活史をどのように聴いていたかが書かれており非常に面白いと感じました。読者がそのときの自分に向けられたメッセージを読み取るからでしょうと。
さて、今の私がいかに「坊ちゃん」の話を聴くのか、半ば自分にわくわくしながら読み進めました。
「親譲りの無鉄砲で子供のころから損ばかりしている」というように自分本位で衝動性があり、筆者が言うようにこのような人物が身近に居たら少し大変だろと思います。
家族歴については愛情に恵まれず母の死、父の死、兄との別れがあり孤独が身に染みます。
でも、坊ちゃんは情にもろく、まっすぐで曲がったことが大嫌いな快男児、人前で喉が詰まると言うところなんかは自己分析もところどころできていると思うのです。
人間づきあいは面倒で淡泊であるが、下女の清に対しては特別な感情を抱き、向けられる愛情を母親と重ね合わせていたのではないかと、坊ちゃんにそういう自覚はなさそうですが私はそう感じました。(清は坊ちゃんの実母であるという説もあるそうですね)
母の死、続いて父の死、兄との別れ、故郷を離れて四国へ行き、数学教員となってから生徒と悶着を起こし、山嵐との別れ、故郷に戻り清と暮らし、その後清の死があり本書は終わります。
最後は、教員の時よりも安くなった月給二十五円でしたが、坊ちゃんを無条件に愛してくれる清と暮らすことができたことは読み手としては唯一の救いとなりました。
坊ちゃんをどう聴くか。
臨床家がクライエントの語りをどう聴くか。
そんな視点で読んでみるのもまた面白いものでした。
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