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日常

踏みしめて

先日、友人と富士山宝永山火口までトレッキングに出掛けました。

富士山の麓に住みながら、富士山頂や宝永山火口まで足を向けたことがなかったため、以前から計画していたこの日を楽しみにしていました。

当日は天気に恵まれ、まずは富士山の二合目の水ケ塚公園の腰切塚展望台へ登り、目前に広がる大迫力の富士山に圧倒されながら今から向かう先への期待を膨らめていざ五合目へ。

富士宮口五合目から第一火口の縁まで約30分歩くのですが、ネイチャーリトリートをしている友人から贅沢なガイドを聞く道中では、時折り足を止めて草花に手を伸ばしながら歩きます。野イチゴの花が咲いていたり、落葉松の小さな松ぼっくりを発見したり、それを動物たちが剥いて食べると聞いて、標高が高い環境下でもこれだけの草木が生息して、ひっそりと花を咲かせ実をつけていること、共存の世界を感じることができました。そして、足元が悪い段差では、大木が手を貸してくれたり、大きな岩が欲しいところで待ち構えていてくれ有難さを感じたりなど、自然との一体感を感じながら五感を研ぎ澄ます時間のスタートです。

火口の底までは約10分。近くで見る宝永山は赤さびのような綺麗な茶系でなんとも神秘的な雰囲気を漂わせ、ふと富士山の方向に目をやると大迫力の富士頂上や山小屋がクッキリ望められ、そんな贅沢な空間で味わうカップ麺は特別感があるのでした。

そこで、宝永山山頂から降りてくる登山者さんたちが口々に「今日の山頂は最高の見晴らしだよ」と情報をもらい、これは山に歓迎されている!と思い急遽宝永山の山頂を目指すことに。

1時間ほどで登れるとのことだったので、余裕な心持ちでしたがこれは甘い考えであったとすぐに気づくことになります。登山コースは整備されているものの、急勾配で足元は砂利で足を取られます。一歩登り半歩ずり落ちるの繰り返し。空気も薄くなっている為、とにかく息が切れて休み休み登るわけです。

大きな一歩を踏み出すと後ろにずり落ちてしまうから、出来るだけ小さな歩幅の一歩を重ねて前へ前へ。カウンセリングの営みに似ていますね。

この道を何度も歩いただろう友人は、私にペースや歩幅を合わせてくれた為、足元だけに目を向けることなく、景色を楽しみながら登ることができました。

彼女の後ろを歩きながら「これぞ伴走だな~」としみじみ。

必要以上の情報はあえて与えずに、自由に登らせてもらった気になっていましたが、一歩先行く彼女の歩き方や足の出し方、スティックの突き方、休憩の取り方などをしっかり示してくれていたように思います。

ここで教示的に「こうしたらいい」とアドバイスされていたら、その瞬間の五感を奪われて勿体ない思いをしたのではないかと感じました。

火口までの登山道は火山灰土に被われ所々に草の塊が点在していたけれど、森林限界の2000mからは植物たちの姿はなく、ただただ砂地だけが広がっていました。

すると、標高2,693 mの山頂に到着!

息をのむ絶景です!目の前に広がる前方には駿河湾、愛鷹山、箱根の山々、山中湖を見渡せ、背後には雄大なダイナミックな富士山が力強く存在します。この日はラッキーだったようで、雲海に覆われることなくこれだけの絶景に出会えたのですから、ご褒美時間ですね。何もさえぎるものがないから風が体中に当たり、風の音だけが聞こえる大自然の世界は心地よいものでした。

下りは砂煙を上げながら軽快に駆け下ります。急斜面なため、気を緩めずに意識を足の裏全体に向けて慎重に足を前に出していきます。

ここでも友人は振り返ることなく、私の足音だけを頼りに安全確認をしてくれ見守っていてくれたのだと思います。実に優しい時間でした。

自然に触れ、五感を澄まして、思考をクリアにして、体を動かし自分と対話する。

人生は山登りみたいだと言われますが、誰の心にも山あり谷あり想定外な坂道にも遭遇するでしょう。カウンセリングでもただゴールを目指すだけではなく、生きている実感や達成感、希望を持てるように、一歩一歩山に登る景色を共有できたらいいなと感じたのでした。

何より翌日、筋肉痛に見舞われなかった自分を褒めてあげたい。

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