臨床家の大先生方が多くを問われた「甘え」について、秋の訪れを感じる小さなカウンセリングルームでも、甘えの構造について考えています。
「甘え」「甘える」「甘やかす」それぞれの言葉が持つ意味や概念と奥深さは計り知れません。
自分に甘いと嘆くこともあれば、詰めの甘さに悔やむこともあり、甘ったれだと自身を否定することもあります。そして誰かに甘えることができずに辛い日を過ごすこともあるでしょう。
きっと、そのときどきの思いで心を表現するものだから、心理に密接する甘えの語源を拾ってみるも、視点ごとに捉え方が多岐にわたり解釈が難しい。そんな見えないものを見る試みをご来談いただく方々と続ける日々です。
かくいうわたし自身も自分に目を向ければ途端に迷宮入り。ただ自分に対しては時に厳しくもあり、とびきり甘くもありたいと思っています。例えば子育てについて甘えは絶妙なバランスが大切で、その甘えが子のためになるのかどうか見定めは必要だと思います。とりわけ幼少期は甘えさせる体験も大いに必要でしょうし、人の優しさに素直に甘える経験も大事ですものね。
きっと人が甘えたいと思うときは、何かに寄りかかりたいときなど少なからずの精神疲労がある状態なのかもしれません。
心が疲れたときは、美味しいものを食べて、好きな匂いと好きな音楽、そして適度に体を動かして、たくさん寝ること、そして甘えを歓迎してください。
頭と体は仲良しだけれど、心と脳は別物ですから。
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